お弟子の宿題に悩む。0から1を生み出す難しさと、「聴く」ということについて。

お弟子time心理学

こんにちは、桐山慶子です🌹

お弟子の宿題のひとつに「ブログ(もしくはYouTube)を更新し続けること」というのがあります。

Facebookは写真メインでUPすることが多いし、手帳に細かい字でびっしり書いていた日記も、もう何年もつけていない。久しぶりに発生した〝文章を書くクエスト〟に苦戦しているわたし。

内容に縛りがあるわけではない。文字数も自由。たくさん書けない日は数行だけ、1日の出来事を書くだけでもいいんだけれど、私の中の「ミニ桐山(悪魔の声)」が、ある程度のボリュームでUPしろと指示しているので、これ書きたいなぁ、あれもいいネタになるなぁ、なんて思いながら公開までには至らず、数行の下書きがたまってしまう。(あ、この悪魔の声はそんなに嫌いじゃないので採用中。ていうか、数行しか書けてないショボさなのに下書きと言えちゃう私すごいな。笑

苦しまぎれに、昔書いていたブログの記事を転載したりもしているのですが、「あの記事、なんか違う感じ…」とすでに何人かにバレました。わはは。

たしかに、当時の記事を読み返すと今の私と思ってることが違うなーっていうものが多々あります。

ブログを書いていた頃も心理学は学んでいたけれど、数年でさらに色々吸収できて気持ちの変化があったってことかもしれない。← その変化こそ文章にすればいいと分かってはいますが、なかなかね…。

根本お師匠は息をするように言葉を綴る人で、そこを目指そうとは1ミリも思わない(失礼w)ものの、

〝息をするようにスッと読めて、ちょっと心に響く〟というスタイルは目指したいところ。(息をするように読む…って変かな?)

栄養士の仕事の方では、知的に障害のある人たち向けに10年以上文章を書いているので、難しいことをわかりやすく伝えるという訓練はたくさんしてきているつもりです。ただ、何か元になる記事があった上でのそれなので、自分の中から産み出すのはまた違った難しさがあるんですよね。

0から1の難しさっていうのかな。

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お弟子の宿題にはクライアントの悩みに文章で回答するというものもあり、そこでも自分の言葉を探してはウンウン唸っています。

悩みの渦中にいた頃の方がスラスラ書けていたなー。

経験上、自分が落ち込んでいる時や、今日は誰の話も聞きたくないよー!って思っている時ほど、優しい言葉をかけることができたりする。そしてクライアントさんの言葉に、不意に励まされたりもする。

「こういう言葉をかけようか」「こうなったらいいんじゃないか」という思考が弱まっているおかげで、聴くことに集中できているのだと思う。

何もできないからこそ、相手の中に何かを見る。

相手の心に届いたかどうかは今となってはわからないです。

弱っている時の方が、ベストを尽くしたと思えることが多かったってだけの話。

こうして悩むこともカウンセラーの醍醐味だと思ってしまう私は悩むのが好きなのでしょうか。きっと、そうなのでしょうね。

そんなことを思いながら、今日も誰かの悩みに想いを巡らせましょう。

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