こんにちは、桐山慶子です。
先日(ていうか、もうだいぶ経ってしまったけれど)サトヒカウンセラーとまみこカウンセラーがブログにUPしていた交換日記。
楽しそうだなぁと思って読んでいたら、
「書きたい人はバトンを受け取ってね〜!」
と言ってもらえたので、私も書いてみることにしました。
普段なかなか「イヤだ」と主張できない、
いい子ちゃん種族(元いい子ちゃん?)のキリヤマが
「嫌なものを嫌だと言うぞ!」
「封印していた怒りを許可できた時のことを書くぞ!」
のコーナーです!
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◆すべて自分が飲み込めばよいと思っていた
カウンセリングに出合う前の私は、今思えば「なぜそんなにも?」と思うほど問題をひとりで抱え込んでいました。
全部受け入れねばと思っていたし、
自分だけで解決しなくてはいけないと思っていたし、
誰かに「疲れた」と言うことさえ禁止していたんです。
というか、独り言でも「疲れた」って言わないようにしていました。
(疲れた=憑かれた…だから言葉にするのは良くない。と、巷で言われており、それを真に受けていました。)
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「あの人に伝えたいシリーズ」でも書いたことがあるのですが
長い間、自分のことを喋ってはいけないような気がしていて。
周りを優先してばかりいたから、やがて自分が何を思っているのか分からなくなって、麻痺してしまいました。
だから、
自分のやりたいことを見つけるとか、
嫌なことを主張するとかって全然できなくて(だってわからないから)
少しずつ少しずつ自分の気持ちに許可を出していって、自分を取り戻してきた感じです。
本当にね、いい大人なのに自分の気持ちを言葉に出すだけで涙が出てしまうことが多かったです。
言ったら否定されるのではというような気持ちとか、相手に申し訳ないというような気持ちが強すぎたのかな。
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◆わたしの嫌なもの
・制限されること
・自分の不機嫌を押し付けてくる人
・大切にしているものを粗末に扱われること
・大きな音や大きな声
・眠りを妨げられること
・埃っぽい部屋(気管支が弱いので)
・脚がたくさんついている虫
・食事に無頓着な人
・ガムをくちゃくちゃ音を出して噛む人
・通勤時間に駅のホームでわざとぶつかってくる人
・「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えない人
・ていうか、嫌なものがあると認めるのが嫌(笑)
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嫌いなものを書き出していて出てきたのは、
「自分も人にそういうことをしてる時があるかもしれない」
「ちゃんとできてない私が言えた立場じゃないのでは…」
みたいな気持ちでした。
そういうとこあるよなぁ。
ちゃんとしてないといけない病。
「ちゃんとしてない私は愛されない」
って思っているのでしょうね。
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心理学を学んできて気がついて良かったことのひとつは、
「自分ができていないことがあっても、自分の気持ちを主張したっていいんだ〜!」
ってこと。
周りを見ると、
・言っていることとやってることが違うのになぜか嫌われない人とか、
・調子いいことばっかり言っていてチャラいのに人望がめっちゃある人
とか、
ちゃんとしていないのに愛されている人
がいっぱいいたんですよね。
↑上に挙げた人が「ちゃんとしてない」としている私の定義もおかしいんだけど…笑
「なんだ。きっちりしなくても、頑張らなくても愛されるんだ!」
って思えたら、
不完全な自分を許せるようになって、以前よりは不完全な誰かのことも尊重できるようになってきた気がします。
まぁ、まだまだ道半ばではありますが。
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◆怒りを感じることを許可したら、悲しみが出てきた。
嫌なことリストには入れなかったけれど、私は「怒ること」や「怒られること」が嫌いで、怒りの感情を長らく封印していました。
怒りがとても悪いもののような感じがしていたし、抑え込んでいる分、この気持ちを外側に出したら人を傷つけてしまうような気もしていました。
母がヒステリックな人だったので、感情的になることが怖かった(私もヒステリックになってしまうのでは…と思った)というのもあります。
怒りを感じる練習をするのですが、底まで感じきらないうちに止めてしまうというか。
上澄みの部分だけ出すみたいな感じで小出しにしかできないというか。
今でも怒り狂っている人を見ると、ちょっと羨ましい。(←笑)
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でもある日、心理学のセミナー中に普段は感じられないような底の方の怒りまで到達できたことがあったんですよね。
そうしたら、到達したと同時に、ものすごく泣けてきました。
怒りで蓋をしていた先にあった
「悲しみ」や「寂しさ」や「無力感」に触れたのです。
怒りを出すのが怖いと思っていたけれど、
怒りで封印していたその気持ちを感じることこそが、本当は怖かったのかもしれません。
そのネガティブな気持ちを感じたら生きていけないくらい、当時はしんどい環境だったってことなんですよね。
そして、それを感じられたということは、
「もうその感情を手放しても大丈夫だよ。」
「次のステージに進んでもいいよ。」
という許可を出せたということ。
自分の感情を相手に見せることは、私にとってはとてつもない安心感でしたし、
生きる歓びそのものでした。
・痩せ細って土気色したインナーチャイルドを抱えていたキリヤマ
・感情が欠落していて人形のよう。青い血が流れている!と言われていたキリヤマ
が、生き返った瞬間です(笑)
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◆怒りとセクシャリティ
私自身いまだによくわからない部分もあるのですが、
怒りが大きい人はセクシャリティも存分にあると言われたりします。
そもそもセクシャリティ自体は誰でもあるものなのですが、
・過去に傷ついた思い出とか、
・逆に誰かを傷つけてしまった思い出とか、
・はたまた自分の魅力がありすぎて(恵まれていてごめんなさいの罪悪感)とか、
色々な理由で本来の自分を隠してしまうことにより、セクシャリティの抑圧が起こってしまうようです。
怒りが大きい=エネルギー(生命力)が大きいってことなんだけれども、
そのエネルギーを「怒り」や「自分を隠すこと」に使ってしまっているので、「やる気」や「自己表現」に使えないのですよね。
↑これ、全く逆方向ですからとにかく疲れます。
元々は本来の自分でいることが生きづらいと思って隠してきたはずなのに、
本来の自分を出した方が実は軽やかに生きられたという衝撃の事実!
これが附に落ちた時はもう、笑うしかなかったです^^;
(まぁ〝当時は本来の自分を隠す必要があった〟というだけなので、プロセスは完璧なのですけれど)
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◆嫌だと叫ぶことの大切さ
いい子ちゃん街道を進んできた人は、嫌を叫んだところで、叫びなれてないので可愛いものです。笑
初めは何が嫌なのかを知ることも大変だったけれど、誰かの嫌を教えてもらったり、すでにある好きなもの(こと)と照らし合わせてみたりしながらコツコツ取り組みました。
自分の「嫌い」と向き合うことは、
本来の自分を取り戻す上でも、とても役立ちます。
自分を知ることは、自分を愛すること
でもあるからです。
そして、それがのちに、人との関わり方にも生かされていくのだなぁとも感じています。
ネガティブなことはつい避けたくなってしまいますが、今後も自分の嫌を大切にしてあげようと思います。
そんなわけで、キリヤマの
「世界の中心で、嫌だとさけぶ」をお届けしました^^
最後までお読みいただきありがとうございました〜☆
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