キリヤマの2022年 〜私の燃え尽きの裏にあった、頑張りを認められない理由〜

キリヤマのこと

みなさん、こんにちは!
カウンセラー/セミナー講師の
桐山慶子(ケイティ)です!!

2023年になりましたね!!年末年始はSNSはお休みして休息しておりました。

昨日からゆっくりと活動を再開。今年もどうぞよろしくお願いします!

で…1月の個人セッションの募集をしたいところなのですが、その前に。

本日はキリヤマの2022年がどんなだったのかをお送りしたいと思います。

(1年の振り返りを年始に書くあたり、相変わらずやることが遅い)

このシリーズを読んだことのあるあなたならご存知かと思いますが、これは現実逃避を兼ねてお送りしているキリヤマ個人のお話です!

◆年末のワークショップで出てきた、今年を表す漢字

キリヤマは毎年年末に、自分自身の振り返りも兼ねてお弟子さん向けにワークショップを開催しています^^

昨年末も開催してきました!

そこでは毎年、今年を表す漢字を考えるワークがあるのですが…

2022年のキリヤマの漢字はなんだったと思いますか?

思い浮かんできたのは

「尽」でした。

燃え尽きる…の「尽」です!!


実は、2022年はかなりの期間 燃え尽きていたのです。



数年の間、栄養士カウンセラーセミナー講師(+主婦&育児)をこなしていたのが

3月に栄養士を退職して以降、抜け殻に。

カウンセラー活動を始めて3年くらい?それまで全力で走り抜けていた疲れが相当たまっていたのでしょうか。

ソファと身体が癒着したのかと思うくらい、仕事がない日は動けなかった。

その期間およそ半年…もうちょっとあったかな?



根本お師匠にも現状を打開すべく何度か相談してみましたが、

「それ、まだ燃え尽きてるよ」「〝動かなきゃ〟は思考でしょ」と、ぶった斬られて

見事に燃え尽き続けました。笑

とはいえ、その間もカウンセリングや講座は取り組んでいたんですけどね。

しかも週1回、朝5時半に家を出発して、夜までカウンセリングをするというサイクルもずーっと継続してたし。

なんやかんや燃え尽きても外では動けちゃう女、キリヤマ。

(中身は灰)



私の師匠って本出しまくるし、ブログもあんな長文なのに毎日更新してるし、YoutubeもVoicyも毎日更新してるし

合間にカウンセリングもお弟子講座もやってて、経営者向けにコンサルとかもしてるらしいし

頭おかしい どうかしてるぜ!」…と常々思っているんですが。

もしかしたら私もあたおか(頭おかしいの略)なのかもしれないな。

いや、でも受け入れたくない…(葛藤)

◆実はその前から燃え尽きの兆候はあった

ちなみに2021年にも漢字1文字ワークに取り組んでいたんだけど、その時は

馬車馬のように働いた…の「馬」だったんですよ〜!!

「尽」とか「馬」とか、なんか全然キラキラしてないし軽やかでもない漢字!!(おかしいなぁ)

巷では有難いことに女神性が…とか言っていただけるようになりましたが、

外側を引っぺがすと、だいぶ泥臭いじゃんか。笑笑笑



みんな、桐山慶子の策略に騙されちゃダメだよ!!!

なんでもサラッとこなしてるように見えるのは幻想だからね!!!

(いや、でもこの幻想も、どうやら近しい人にはバレているという噂…。)

◆【すごく頑張っている私】と【全然頑張りが足りてないと思っている私】のせめぎ合い

燃え尽きたの、灰だの、書いているけど…今はそのひどい状況からは脱しました。

キリヤマが「悩みの渦から脱したぞ!」と思う基準は、

ある程度の感情の嵐に揉まれた後、

そんな自分を客観的に見れるようになってきたら抜けたって感じです。


(客観的に見れる=似ている人を見ても揺さぶられない、過去になったという判断で。)

(ひととおり感情を感じてから…というのも大事ね!)

で、ですね。今回のまなび。

【すごく頑張っている私】
【全然頑張りが足りてないと思っている私】 がせめぎ合っていた。 

いや、「頑張れてないと思っている私」の方がちょっと(だいぶ?)強かった。

だから実際やっていることと体感がズレて、疲れていることに気が付けなかったのです。

◆疲れる頑張り方と、疲れない頑張り方

生きていたら頑張らなくてはならない時もあるし、頑張ること自体は悪いことではないのだけれど

・楽しくて行動するのか(=愛)
・義務や犠牲から行動するのか(=怖れ)

どちらをベースにしているかで、その後の疲れ方に大きく差が出ます。

これは私に限った話ではなく

ハードワークしちゃいがちな人は【義務・犠牲】が占める割合が大きくなっていることが多いですし、

「〜すべき」「〜ねばならない」みたいな【ルール・観念】も、

〝それをしないと愛されない〟という怖れが大きく影響してくるところかと思います。


怖れをベースにした頑張り方って、短期的には頑張れるけど

休む暇がない(潜在的には休むのが怖い)のでグッタリします。



さらにキリヤマの場合は

「頑張っても頑張っても、マダマダ足リナイヨ〜!」

と耳元で囁くエゴの魔女も棲みついているので、永遠に終わらない戦いがそこにはあるわけです。

馬車馬のように働くのも、燃え尽きたのも、まぁそんな仕組みでやってればそうなるよね。



キリヤマを知っている人は「昔からそうだったじゃん」って思ってるかもしれない。

ま、繰り返してるよね。やっぱりちょっとアホなのかな。←ちょっとだけ認める

◆私の燃え尽きの裏にあった、頑張りを認められない理由

今回の本題はここからなんですよ。(長くてすいませんね)

2022年の大きな気づき。

「頑張ってるな、私!偉いぞ!」って、自分を承認することができたのなら。

「ケイティ頑張ってるね!」という声を素直に受け取れていたのなら。


そうしたら、燃え尽きたりしなかったのかもしれない。

でも、燃え尽きることを選んででも守りたいルールが私の中にあったんです。

それは…

「頑張ってるのに死なない」という法則は存在してはならぬ

というルール。

文字にするとなんじゃそれって感じですけど

これは大真面目に私の無意識下で採用されていたルールです。

どうしてそんな概念があるのかっていうと、

私の父は(私の中では)

頑張りすぎて限界が来て自死した ということになっているからです。



「頑張っても死なないなんて、私が父よりたくましいってことになっちゃう!!」

「そんなわけはない!!そりゃマズイ!!」

「偉大なお父ちゃんを超えるわけにはいかん!!」

ということで、自らの頑張りを却下し続けて「頑張ってない認定」をしていたようです。

しかも、頑張りすぎたら病んで自死するという仮説があるから

日頃から本気出さないように調整してると思っていたのに

「出産も育児も、本気出さないとできないよね?」

と、師匠からのトドメの一発を喰らった。

まじか、そっか。私って本気だったのか。本気出せてたのか。

長い間、本気が出せないことに悩んでいたはずが

→出産・育児というイベントを通過する中でいつの間にか本気を出せるようになっていて

→そこを認められないから表面上は本気出してなさそうに見えるまま過ごしていて

→すました顔をしながら、足元はハムスターばりの全力疾走

→燃え尽き

という構図だったのかな。なんかややこし〜!

◆本日のまとめ

さて、キリヤマの2022年燃え尽きエピソードはいかがでしたでしょうか。

(年始に燃え尽きの話ってなにごと。笑)

燃え尽きからの回復については書かなかったけど、飽きるまで燃えたら少しずつやる気が出てきました。そこは普通の展開すぎたので割愛!



それと、復活していく中で辿り着いたのは

燃え尽きの中にも美しさあり!

という悟り(こじつけ?)(悪あがき?)(開き直り?)だったのですが、

その話も色々語れそうな気がするので、セクシャリティの話に絡めて別記事で書くことにします。



罪悪感が強くたって、無価値感が強くたって、燃え尽きたっていいじゃない。

それはそれだけ本気で生きているからだし、自分の人生を(根っこのところでは)諦めていないってことなのです!

本気で生きたら、どんな形であれ美しさを放つ。

だからね。この記事が響いた人はキリヤマのとこに来てね〜♡

公式LINEへのメッセージも嬉しいです。送ってくれたら私からもあなたに愛の返信を飛ばします!

2023年もよろしくねっ〜!

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